それは合宿三日目の昼のことだった。練習をしていた皆は昼休憩へと、室内に引っこんで行って、私達マネージャーも、タオル配りだ何だと走り回る仕事はひと段落ついた。しかしそうは言っても、他にもやる事は沢山ある。皆が再び練習を始める前にと、私達は掃除や買い物の役割分担をくじ引きで振り分けて、それぞれの作業に移ったのだった。 「…何で私が買い物」 買い物係と書かれたくじをひと睨みしてからぐしゃりとそれを握りしめる。目の前でゆらゆらとユラユラと揺れる陽炎が私の足を合宿所の玄関に縫い止めていた。 この炎天下の中、女子一人を買い出しに歩かせるなんざ信じられない。しかも食べ盛りの男子共が集まってるだけあって、買う量が尋常ではないのである。朝昼晩の分を買うならば、三往復くらいしなければ、私の力だけでは必要なだけ揃わない。誰かしらを荷物持ちにすれば良いのだろうが、頼みの立海の奴らとは何故か気まずい状況。しかも他校も、この暑い中での練習に、もう、しばらくは外には出たくないとへばっている感が満載でとてもじゃないが声は掛けられない。 「何ぶつくさ言ってやがる」 「…ああ、跡部ちょん」 後ろから声がして、私はそちらへ振り返る。そこにいたのは跡部だった。彼は私の手に握りられた財布を見て、買い物に行くのだと悟ったらしい。私の腑抜けた様子に「だらしねえな」と喝を入れる。だまらっしゃい。 「それよりお前、一人で行く気か」 「行きたくないけどいくしか無いからね。ただでさえ人出が足りないし。一つのことに何人も人員を裂けません」 「結構な量を買うだろうが」 まあそうだけど、だからと言って、休憩を取る皆に声をかける事もできない。流石に私も楽がしたいと言っても、そこまで図々しい女ではないのである。そんな事を簡単に伝えると、奴は小さく息を吐いてから、私に背を向けて歩き出した。しかしそれは室内に戻る方向ではなく、外に出る方へである。 「は、ちょっと待っ、跡部ちょん!」 「なら、俺様がついて行ってやる」 「は?」 「さっさとしろ」 「え、来なくていいよあだっ…殴るか普通!」 きっと跡部なりの優しさなんだろう。何だが胸の辺りがむずむずして落ち着かない。正直跡部と買い物なんて気まずくなるのは目に見えてるし、本当について来なくて良いのだけど、この様子じゃ無理だろう。私は観念して、殴られた所をおさえ、数歩先の跡部に追いつくようにかけ出した。 「ていうか跡部ちょん、車はないのかい。暑くて歩いてられないよ」 「店はそんなに遠くねえだろ。わざわざ車なんざ使うかよ。贅沢言うんじゃねえ。このくらい我慢しろ」 「跡部ちょんて、変なとこ庶民っぽいよね」 そうして私達は近場のスーパーへと出かけたのだが、今更ながらに跡部とスーパーってミスマッチすぎて笑ってしまう。跡部の顔をまじまじと見つめていたら、奴は「ようやく俺様の魅力に気づいたか雌猫」などととても不名誉な事を言ったので、背中に頭突きを繰り出してやった。 それから私達はスーパーに足を踏み入れたのであるが、中の涼風に歓迎されつつも私がカゴを掴むなり、跡部はそれを取り上げてしまったのだ。 「あー…あの?」 「買う物はお前が把握してるだろ。俺様が持ってやる」 「ああ、どうも…」 正直、何か跡部優しくね?と思った。どうしよう。後でまた何か雑用をやらせる気なのだろうか。小さく身震いをした私に、彼は早くしろと急かしたので、もう深く考えるのはやめにしよう。決して面倒になったとかそういうんじゃない。 さて、跡部景吾という男は、常に冷静で少し厄介な人間であると、私は初めて奴に会った一年の全国大会の時からそう感じていた。実際そうなのだろうが、今の彼はどこか落ち着かない様子だ。おそらくあまりスーパーには来たことがないから色んなものに興味を引かれているのだろう。先ほどから彼にしては珍しく私に「これは何だ」「あれは何だ」としきりに問うてくる。 「これはうまい棒です」 「これが噂で皆が虜になってるとか言ううまい棒か」 「そんな噂聞いたことねえよ」 誰情報だよ。…ああ、何と無く向日辺りが面白がって適当なこと教えてそうだけど。まあ、黙っておくことにする。ていうかこんな事してる場合でないよ。野菜とかも買わないと。子供の様に私の後ろについてくる跡部になんとなくずっと張っていた気が緩んだ。 「それにしても、本当に赤字覚悟な値段ばかりだな」 「いやこれが普通だと思うけど」 それから私達はしばらく店内をぶらついていたわけだが、不意に、向こうの方が騒がしくなった。私達はそちらへと注意を向けると、そこにはタイムセールの看板が立てられているではないか。 「本日のタイムセールは、卵M玉10個入りパックが10円!なんと10円にて販売です!」 「何!?正気か?!」 「マジでかあああ」 跡部も私もぎょっと声を上げる。拡声器片手に叫ぶ店員の声が聞こえるなり、主婦達がすごい勢いでかけてくるのが見えた。ずどどどと地響きまで聞こえる。え、ヤバくね。ここヤバくね!? 「あああ跡部ちょん、危険だよもう帰ろう!」 「何言ってやがる。も混ざって来い」 「あれ見えるよね?私に死ねと?」 「安くなるなら良いじゃねえか。赤字覚悟なんだ。ここは買ってやるべきだ」 「変なとこ庶民に馴染んでんじゃねえよ。つうか意味分かんねえよ!私が買わなくてもきちんと売り切れるから!」 ぎろりと跡部を睨みつけたが、彼は涼しい顔をしているばかりである。いや、どこかワクワクしているような気がしないでもない。あああくっそ、見てやがれよ!私が勝ち取って来た卵を見て崇拝するが良いさふはははは!テンションもおかしくなってきたので私はおばさんの流れに突撃するように走り出した。 …が、まあそりゃあベテラン主婦様に勝てるわけはなく。あっという間にはじき出されてしまう。体勢を立て直そうとしたが、先日の停電騒ぎで足をひねっていたのを思い出し、ずきりと走る痛みに私は顔を歪めた。そのまま後ろに倒れそうになる。 「っ危ねえな」 「…おおおう…」 後ろから抱きかかえられる様に、跡部は私を支えに入った。一瞬だけ、男子には不釣り合いなフローラルな香りがして、何だが心臓が速くなる。「根性がねえ女だな」「だまらっしゃい」ハッとして跡部を押しのけるように、私は彼から慌てて離れる。そのまま、何故か熱くなった顔をパタパタと冷ましていると、彼は私を一瞥してからにやりと笑って見せた。 「お前も可愛いとこあるじゃねえの、アーン?」 「…っは、…いいい意味が分かりませんけども!!」 「照れてんじゃねえよ」 「照れてねえわ!」 どんなことがあってもこいつだけは好きにならないと心に決めた。 そんなこんなで跡部との買い物は無事に終わったのであるが、果たしてどうして奴は私の買い物に付き合ってくれたのかが、とてつもなく疑問だった。普段ならテメエの仕事はテメエで片付けるんだななんて冷たいのに。本当なら、荷物持ちをつけるにしても、彼にはもっと別の大変な仕事があるだろうから樺地君をつけるはずなのに。 消えない疑問を胸に、前を歩く跡部の背中を見つめていると、彼は不意にこちらを省みた。 「、足は大丈夫だったか」 え? 「一昨日の停電騒ぎ、巻き込んじまって悪かったな」 …え? もういい、もういいよ。 (だから悪いと思って、心配してついてきてくれたんだね)(馬鹿だな、気にしてないよ、そんなの) もくじ ( 他校との絡みのリクエストありがとうございました / 130525 ) |