私と風間さんと師匠の話


菊地原士郎を横取りされた。


あれは春だったか夏の初めだったか、そこら辺の記憶は曖昧だったが、その日は朝から土砂降りだったことだけはよく覚えている。天気も気分も最悪だった。

「おい、待て
「待たない」
「良い加減諦めたらどうだ」
「嫌だってば!」

ランク戦室へ続く廊下を大股で進むその足を止めて、あとをしつこく追いかけて来るその人へ、私はぐるんと振り返った。ぶつかる視線に、お互いに、む、と口を真一文字に結ぶ。奈良坂の目は、引き返せと静かに訴えていた。だけど、今更過ぎる。私は彼の言葉を聞くつもりなど毛頭なかった。

先日、私と菊地原士郎はめでたくB級隊員に昇格し、それと同時に菊地原の風間隊への入隊が決まった。他にもB級に上がるなりチームを組んだ隊員はちらほらいて、私にもいくつかのチームから声がかかっていたのだけれど、全て断った。菊地原が風間蒼也を選んだことがショックだったのだ。自分も誰かと組もうなんて切り替えができるわけがない。
風間隊のスカウトを受けるという話を彼が私へ打ちあけるとき、菊地原の瞳の中には、私に対する罪悪感の色が僅かにあったように見えた。いつも冷たいくせに、こんなときばっかり、と思ったけれど、言葉を飲み込んだ。こっそり胸の奥に隠しているはずの彼のあったかい人間らしい部分が、私を惨めにさせるから、私が嫌味なんて言ったら、余計惨めになる気がした。


「相手も迷惑してるだろ」
「そんなこと分かった上だよ」
「また首を吹っ飛ばされるぞ」
「上等。もう5回もやられてる。一回増えようが大した差じゃない」

再び歩き出した本部の長い廊下では、私達の苛立ちを孕んだやり取りを怪訝に思う隊員達の視線がちらちらと寄越されていた。奈良坂が私に追いついて、隣をキープしたけれど、私はそれを視界の端に捉えるだけにする。ランク戦室は目前だった。赤い瞳のあの男が、脳裏にちらついていた。

風間蒼也という男が私と菊地原の前に初めて現れたのは、私が菊地原に構い初めた、少し後だったように思う。その頃にはすでに、私の頭の中には、B級に上がったら、菊地原とチームを組む構想があったし、菊地原も、私のことを自分に付きまとう迷惑な奴だといつも文句を垂れていたけれど、何だかんだ言いながらも、彼もきっといつかは私とチームを組むのだろうと思っていたに違いない。だって私達にはもともとそれなりに実力があって、能力だけの話をすればチームを組むには互いに特に不満はなかった。それに、彼は口で何と言おうと、私のそばから離れて行こうとしたことは一度もなかったのだ。

風間蒼也はそんな私達の目の前現れた。そこから全てが狂い始める。簡単に言えば、風間蒼也は菊地原のサイドエフェクトが欲しいという、スカウトの話をしに来た。B級に上がったら自分の隊に来て欲しいと、そういうもの。
菊地原自身、使い物にならないと卑下していたサイドエフェクトの利用価値を長ったらしく語られて、きっと彼は気を良くしてしまったに違いない。私だって彼の才能の価値はよく分かっているのに。オペレーターも利用していかにもといった具合に説明されただけで、菊地原の心が揺らいでいるのが私にはすぐに分かった。菊地原は意外と単純だ。いや、それまで孤独だったからゆえかもしれない。
菊地原をどうこうするのは勝算が無い気がしたので、私は菊地原を掻っ攫おうとしている風間蒼也に一度だけ菊地原に付きまとうなと喧嘩を吹っかけたことがある。彼はいつか私とチームを組むのだと。

「そうか、それは悪いことをした。しかし俺に言っても仕方のないことだ。菊地原自信が好きな方を選ぶ。あいつが俺のチームに入るというのならお前がいくら菊地原とチームが組みたかろうが、止める権利はない」
「調子乗んなよチビ。菊地原はまだお前のところに入るなんて言ってない」
「菊地原は俺のチームに入らないとも言っていないぞ。それから、お前は年上に対する口の利き方を少し覚えた方が良い」

どちらにせよ、菊地原のことはお前の決めることではないな。
そう、一蹴された。もっともすぎる大人の意見だ。その通り、……なのだけれど、私がこんなことをするのは、菊地原はきっと私のそばにはいてくれないことを分かっていたからだ。風間蒼也もそれを分かっている。
悔しくて、だけどどうしようもなくて、そんな今の私には強くなること以外にあのチビを黙らせる方法が思いつかなかった。きっと強くなって、菊地原を取り返すんだと。

しかし自分だけで強くなるには限界があることは、これまでの経験でよく分かっていた。成績をぐんぐん伸ばしていった奴らにはだいたい師匠というものが付いている。奈良坂もそう。私にはそれがいない。後は菊地原のように、自分より実力のある奴とチームを組んで凌ぎを削るのが速いのかもしれないが、私にそんなつもりはなく、師匠探しをすることを選んだ。とは言え、もともと弟子入りを希望する人物はいたので、行動に移すのは存外早かったように思う。


「うるさい奈良坂、お前は私のお母さんかよ」
「あいつに、またお前がおかしなことをしでかしたら止めるように頼まれている」

あいつ、というのは、恐らく私のスナイパー志望の友人のことだろう。奈良坂とも、もともとは彼女の繋がりで知り合った。彼女は、私が菊地原とつるみ始めてから、私の行動をあれやこれやと気にかけるようになったらしい。奈良坂は彼女に何の借りがあるのか、最近彼は、友人の代わりに私の見張りとしてそばにいることが多かった。(私も奈良坂もB級に昇格したが、まだ彼女がC級だからかもしれない)
ランク戦室に着くと、目的の人物はすぐに見つけることができた。少し猫背でぼさぼさの頭。真っ黒の隊服。白い紙に黒色の絵の具をぽたんと落としたような、まさに影。
彼は私が声をかける前に、首だけこちらに向けた。いつもそうだ。まるで気配でも読んでいるみたいに、彼もまたぴたりと私を見つけ出す。

「影浦先輩」
「またテメエか」
「用件は昨日と同じです。私を弟子にしてください」

最早奈良坂は私の横に並んだだけで、止めようともしなかった。毎度のことだ。ここまで来ると、言葉でも力技でも、彼は私を止めようがない。トリオン体なら、私は力で彼に負けるとも思えないから。
影浦先輩は、鋭い視線で私を睨みつけて、しつけえんだよ! と怒鳴り散らす。そばの椅子を蹴り飛ばされて、私は肩をビクつかせた。
以前、奈良坂も、友人も、他の隊員も、どうして影浦なのかと、皆が口を揃えて問うていた。あんな、いつもソロポイントを減点されているような乱暴者。怖い人。何も学べやしないと。
ああ、影浦先輩は乱暴で、確かに怖い。

「テメエ馬鹿か。怖いなら上に言いつければ良いだろうが」
「こっ、……怖いなんて私言ってません」
「手が震えてんぞ」
「これは、影浦先輩に会えて感激して、震えてるやつで、」

す、と言い切るが早いか、黄色い太刀が鞭のようにうねり、私の首めがけて伸びているのが分かった。避ける前に、ドン、と煙に包まれて、地面に身体を打ち付ける。首を落とされトリオン体から生身に戻った私は、尻餅をつきながら、影浦先輩を見上げた。怖いと思った。気持ちが高ぶった。安全だと分かっているはずなのに、殺されると畏怖せざるを得ない、人間の本能に囁くような、彼の迫力。
ぽかん、と口を開けていると、誰かが私の腕を引いて身体を起こさせた。奈良坂ではない。

「ごめんねー、今日はこの辺にして、また出直してよ」
「出直す? ふざけんな。二度と来んな」
「まあまあ、カゲもそんなにいきり立つことないよ」

されるがままに私は立ち上がり、その人物を見上げた。ガタイが良い、と言うより、色々と大きな人がそこにはいた。雰囲気は影浦先輩と真逆、というのがきっと正しい。場に似合わぬ和やかな調子で私達の間に立ったので、私は、どちらさまです? と首を傾げた。

「あ、俺は北添。ゾエで良いよ。俺、一応カゲと同じチームなんだけど……」
「そうでしたか」
「うん。君のことはよく見かけてたから知ってるよ。根性あるよね」
「それならゾエさんから影浦先輩にお願いしてください」
「え?」
「この子根性あるから弟子にしたほうが良いって」

奈良坂がぎょ、とした顔を向けた。そこまで驚くようなことを言っただろうか。
ゾエさんは、眉尻を下げて頭をかきながら、うーん、カゲ、こう言ってるけど、と歯切れの悪そうな喋り方をする。もちろん影浦先輩は、余計に眉間にしわを寄せただけだった。

「断るっつってんだろ。柄じゃねえし何よりダリィ。つうか、テメエずうずうしいんだよ」
「よく言われます。自分の長所だと思ってます」
「短所の間違いだろ」
「いやいや」
「お前友達いねえだろ」
「たくさんいますよ。菊地原とー、奈良坂とー、ゾエさんにーあと影浦先輩とか」
「勝手にテメエの仲間にいれんじゃねえ」
「でも私は好きです」
「あ?」
「影浦先輩の怖いところ。仲良しになりたいです、弟子になりたいです、稽古つけて欲しいです、お願いしま、っ」
「舐めたこと言ってんじゃねえぞ」

言い切る前に、胸ぐらを捕まれて、一気に影浦先輩の方へ引き寄せられた。ゾエさんが、ちょっとちょっと、と口を挟んで、さらに周りがざわつき出した。影浦先輩はよく規則違反をしてソロポイントを減点されると聞くけれど、今回このことで減点されないといいなと思った。すぐ目の前には、鋭い影浦先輩の瞳がある。もう怖くはなかった。私が怖いのは、スコーピオンを握る影浦先輩だ。こんな脅しは怖くない。
それを感じ取ったのか、影浦先輩は、少し腕の力を緩めて、お前、と口を開いた。その声色は今までのどの言葉より私と会話する意思を感じ取ることができた。

「何でボーダーに入った」
「は?」

この質問は、予期したものではない。
何でそんなことを、と怪訝に思っていると、続けて、誰か殺されたか? と形式通りの問いが返る。問いの意図は読めなかったが、私は頷いた。ああ、確かに殺された。

「家族皆殺しでした。父も母も兄弟も祖父母も」
「強くなるのは復讐か」
「現在の一時的な目標はそうです。でもネイバーは恨んでません」
「はあ? お前頭いかれてんのか。じゃあ何の復讐だ」
「いや、その時のことあんま覚えてなくて。気づいたら皆いなかったって言うか」
「……」
「だから今とりあえずタコ殴りのボコボコにして泣かせたいのは風間蒼也です。ただの私怨ですけど」

覚えていたならばまた違った形で私はここに存在していたのかもしれない。三輪のように、ネイバーは敵で、闘志に燃えていたのかも。私が覚えているのは、家族が皆殺しにあったとき、黄色い大きな目玉が私をじっと見下ろしていたことだけ。それがバムスターなのかバンダーなのかの種類さえ覚えていなかった。

「ボーダーに入った理由は、実弾が欲しかったからです」

実弾と、それをコントロールするだけの力。財は賢さだったり、もっとはっきりした腕っ節のような力だったり、それを守れるだけの何かがないとうまく扱えないことはよく分かっていた。私は賢くはないから、力を求めることにした。

「私を守ってくれる当たり前は全部無くしたので、欲しいものは自分で何とかしないとなあと」
「だから周りに迷惑かけまくってるってわけかよ」
「え? だってそうしないと、私の幸せと不幸せの帳尻が合わないじゃないですか」

私がそう言うと、一瞬だけ、影浦先輩が怯んだように見えた。何故かは分からない。そのタイミングで私は影浦先輩の腕を振りほどくと、その場で土下座を繰り出した。もうこれしかないと思った。

「欲しいものは何も諦めたくありません。私は我がままなので、力も実弾も菊地原も影浦先輩も全部欲しいです。ください」

何だその頼み方は……、と奈良坂が零したのが頭上に聞こえた。多分頭を押さえているのだと思う。奈良坂はだいたい頭が痛そうだ。偏頭痛かと聞いたら全部私のせいだと言うから今のも私のせいで頭が痛くなっているに違いない。
ゾエさんや影浦先輩は、しばらく沈黙していた。周りの騒がしさも、いつの間には少し落ち着いている。いかんせん床とご対面しているため、周りの状況が見えないから何とも言えないのだけれど、場面としては固唾を呑んで、というシーンだろうか。私はと言えば、内心、いい加減頼むよぐらいの気持ちでいた。それからどれくらい経ったか、ふいに影浦先輩の靴が私の頭を軽く蹴飛ばした。私は浅く顔を上げる。影浦先輩はいつものようにマスクをつけていたけれど私には彼が笑ったように見えた。

「お前、名前は何つった」
「え……」
「名前だよ」
「え、と、ですけど」
「そうか、。俺は弱ェ奴は嫌いだし、テメエみたいなバカはもっと嫌いだ」
「……そすか、悲しいです」
「俺は優しくねえしするつもりもねえ。何かを教えるつもりもねえ。弟子も取らねえ」
「……結局かよ」
「だが、……暇つぶしには付き合ってやる。ケチ臭えこと言うつもりはねえから欲しいもんがあんなら自分で勝手に持ってけ」
「……」

それで良いならついて来い。
言いたいことだけを一方的に吐き出して、影浦先輩はあの少し丸い背中をこちらに向けてランク戦のブースの方へ歩き出した。私は覚束ない足で立ち上がる。え、え、え? どういうこと。
私はぽかんとそのひょろりとした黒い影を目で追いながら、ならさか、と回らない頭のまま思いついた名前を、とりあえず呼んでみる。

「お前は救いようのない馬鹿だな」
「うん、わたし馬鹿だから、今の状況よく分からない」
「……」
「名前聞かれたと思ったら散々貶されて、やっぱり弟子はとんねえのかよ貶され損みたいに思ったら、でも暇つぶししてくれるって言った……意味不明」
「カゲなりの答えだよ。普通だったらあり得ないくらい甘いんじゃないかなあ」
「ゾエさん、」
「良かったね」

ぽん、とゾエさんは私の背を叩いて、笑った。え、ここ笑うところなんだ。じゃあやっぱりこれは私の望んでいた展開だと思って、良いの?
自分のトリガーを一瞥する。すると奈良坂が隣に並んだ。彼の横顔は怒っているようにも、呆れているようにも見えた。やっぱり私は笑う場面ではないような気がしてくる。

「お前はほんと、やることなすこと常識外れだ。悪いが俺はもう助けないからな」
「奈良坂ママ……ならママ……」
「変な呼び方をするな」

何を言われるのかと思えば、突然私を見放す様な台詞を吐くものだから、私はつい肩を竦めた。奈良坂はクールである。


「そんなんだから、お前は俺がどうしたところでまともにはなれないんだろうな。その常識外れの馬鹿のまま突き進みたいならつき通せばいい」
「うん、」
「さっさと進め」


奈良坂が私の背を強く押した。

彼はクールで、かと思えばお母さんみたいにうるさい奴だけれど、きっと私に必要な人間の一人なのだろう。

彼も私の「大切」のひとつにしようと思うのだった。




それからと言うもの、私は影浦先輩にぶっ飛ばされて半べそをかく毎日を送った。

先輩はそんな私を弱いとかトロイとか馬鹿とかアホとか、あらゆる言葉で罵ったしボコボコにしたけれど、私は影浦先輩の言葉通り、少しずつ欲しいものを手に入れて強くなってゆくことになる。ちなみに、初めはあんなに訓練に付き合うことを嫌がっていた影浦先輩は、驚いたことに毎日欠かさず暇つぶしに私を付き合わせた。それは優しくないといったはずの影浦先輩の優しさなのだろう。だけど、それを利用して私欲の為に牙を研ぐ私が、その理由となるぶん殴りたい風間蒼也に毎日観察されていたことを、そのときの私はまだ知らなかった。





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「あ、ちわっす師匠!」
「師匠って呼ぶんじゃねえぶっ殺すぞ」
「ひ、」
「びびってんじゃねーよ。オラ準備しやがれ、暇つぶしだ。ランク戦行くぞ」
「え、あ、合点承知!」


私と風間さんと師匠の話 終


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( 160821 )