グラウンドの隅で絵を描く私の悩みの一つに、絵を描いている時に野球部やらサッカー部やらのボールがあちらこちらから飛んでくるというものがある。このド下手どもが、とボールが当たりそうになる度に心の中で悪態をつくのだが、まあ彼らからしたらこんなところで絵を描くなという感じだろう。
私は今日も、ボール達が飛んでこないことを祈りながらぼんやり空を見上げた瞬間、その期待は見事に打ち砕かれた。普段は飛んで来ない見慣れぬ黄色いボールがこちらに降ってくるのが見えたのだ。
どうやら王者立海のテニス部も大ファールの例外ではないらしい。


06_ 哀れな私とキングオブイケメンな丸井君





「へぶっ」


情けない声を出して顔面でテニスボールを受け止める。想像以上に硬かったそれは、私の顔をバウンドして数メートル前へ。ぬあああ痛いいい。なんか私の顔面にぶつかる瞬間スピード増した気がする。しゃがみ込んで、膝に顔をうずめた。手探りで足元に転がるテニスボールを見つけてそれを握りしめる。


「あ、すんませーん」


ほどなくして、なんとなく聞き覚えのある声と共に誰かがこちらへかけてくるではないか。そいつが私にボールをぶつけた犯人である事は間違いないだろう。ギンと睨みを効かせて顔を上げると目の前にいたのはなんと、


「よ、吉原君…」
「切原だよ」


吉原君もとい切原君だった。彼は私の赤くなった鼻を笑いながら再び「わりっす」と言う。全然申し訳なさそうじゃない。それよりそんな大ファール決めてると王者立海の名が泣くぞ。正直腹立たしかったが私はチキンなので、ぐっと言葉を飲み込んで、手にしていたボールを彼に差し出そうとした。ところがどっこい、開いた手の中のボールには私の手に着いていた緑の絵の具がべっとり。いやはや部長にずっと手で絵を描く癖を直せと言われていたが、まさかこんなところで祟るとは。


「えーとだな、ボールは私にぶつけた罰で没収します」
「は?何言ってんの」
「何言ってるのはこちらでして、人にボールぶつけたのにその態度は、」
「謝ったんですけど」
「でっすよねー!実はボール返したいんですけど絵の具で汚れましてね、これは落ちないのではないかと!」


私の馬鹿…!年下にビビるとか情けないにも程がある。切原君がどうでるかビクついていると、彼の後ろから赤い髪がこちらに近づいてくるのが見えた。「おい、何してんだ赤也」「丸井君んんんんエンジェル!貴方エンジェル!やだイケメン!」「…は?」ピンチを救うヒーローは遠くの星からなんてやってこない。隣のコートからやってくるのである。キョトン顏で現れた丸井君に事の次第を伝えると、彼はやれやれと肩をすくめてから自分のポケットへ手を突っ込んだ。


「ほら、赤也」
「え、でもこれ、丸井先輩の、」
「いーんだよ。それやる。だからは許してやれ」


元々はお前のコントロールが悪いからいけないんだしな。丸井君が至極大人な対応をしなさった。切原君は私を一瞥してからヘーイと頷いてコートへ戻って行った。彼の背中が見えなくなってから、丸井君に、ありがとうと頭を下げる。


「いんや、別に?つか、何年下に絡まれてんだよ」
「果てしなく不本意である」


それにしても彼は私の事が嫌いなのだろうか。いつも、と言えるほど関わってはいないけれど、気づけばいつだって睨まれている気がする。誰にいうわけでもなく、ぽつりとそんなような事をごちると、丸井君はそれはちげえよと、今まで私が絵を描くために使っていた椅子にどかりと腰を下ろした。


がビビるのが面白くてからかってんだろい、アレは」
「結構な趣味してんじゃねえか」
「はは、ま、許してやってよ。それより、」


お前、今この絵描いてんだな。彼は脇の机においてあった筆を手にとって、ボンヤリと絵を眺めていた。なんだか、初めて絵を見られた時の表情とは違って、うまいだとか下手だとか、直感的な感想は生まれてこない様子だった。彼ならば何かしら口にすると思ったのに。


「足りねえな」
「え?」
「何か、足りない」


丸井君はからん、と筆を放り出した。そうして椅子から立ち上がると、先ほどまでの無表情から一変していつも通りにニカリと笑う。まあ、俺には絵とかわかんねえから気にすんな。そう言われたけれど、私には彼に何かを見透かされてしまったように思えた。私にはまだ分からない、私の絵に足りない何かを。


「そうだ。、俺の事かけよ」
「は、はあ?」


突然の申し出に、私は素っ頓狂な声を上げた。


「なんだよ、良いだろい?この絵にちょこちょこーっと入れてくれれば良いんだよ」
「でも私、人とか描いた事なぐえっ
「そういやボールの礼がまだだったな」
「さっきお礼言いましいででで」


私が何かを言おうとすると切原君と交換したボールを丸井君は仕切りに私の頬にグリグリと押し付けて脅してきた。切原君から逃れたと思えば今度は君か。やはりテニス部は類友である。そういうわけで、彼の威嚇に私は、終いには「…ヘイ」と情けなく頷く他なかった。


「うーし、決まりー」


「楽しみにしてるぜ」丸井君は、そう言ってぱちん、とウインクを決めた。女の子がメロメロになりそうなくらいの可愛さだったが、私は惑わされない。一瞬たりとも可愛いとか、微塵も思ってないのである。うん。自分にそう言い聞かせて、もう腹を括った私は、任せろと男らしく答えてみせた。その言葉に丸井君は満足そうに頷く。それから彼もコートへ戻るらしく、私に背を向けて歩き出したのだが、しかし、彼はすぐに振り返って口元に弧を描いてみせた。


「お前さあ、顔にボール型の絵の具ついてんぞ」


…それはさっき君が絵の具がついたボールを押し付けて来たからでしょう。頬に触れた手にべたりとついた緑を見て、私は肩を落とす。




油絵具は肌につくとは3日くらい落ちない事を、きっとテニス部の丸井君は知らない。