補習課題が、終わらない。
こうして私はかれこれ1時間も放課後を無駄にしているわけだが、課題は一向に終わる気配がない。難しすぎやしないかこれ。できもしないペン回しをして、それを床に落とすと一人きりの教室に派手な音が響いた。床を転がるそれに思わず私は舌打ちする。そうしてペンへ手を伸ばした私だったが、私より先にそれを拾い上げたのはずぶ濡れの丸井君だった。


05_ 置き傘がない私と類は友を呼んだ丸井君



「ほらよ」そう言って丸井君は私にペンを差し出した。私はそれを受け取りながら、無意識のうちに「何でだ」とこぼす。すると丸井君は肩を竦めて、それから窓を差した。私は釣られて外を見れば、いつの間にか空は重たそうな灰色の雲に覆われている。


「急に降りだしてよ、部活中止」
「ふうん」


予備らしいタオルをロッカーから引っ張りだした丸井君はそれで乱暴に頭を拭き始める。なんとなく目のやり場に困って、ひたすら窓の外を見つめていると、いつの間にか隣にいた丸井君が、「そういうお前は何してんの」と口を開いた。私は机に広げられている課題を指すと丸井君が小馬鹿にしたようにニヤニヤと笑った。この野郎。仁王君といい丸井君といい、テニス部には嫌味な奴しかいないようだ。彼の笑い方は仁王雅治のそれと似ている。類は友を呼ぶとは言ったものだな。


「古典苦手なんだ、ふうん」
「文句ありますか」
「別に?…つか、全然終わってなくね」
「早く終わってたら補習なんて呼ばれてないよ」


私はさらりて言ってのけると、丸井君は目を見開いてそれから笑った。「違いねえ」むか。
腹が立ったので私はサッサと帰れば的視線を丸井君に向ける。それに気づいた彼は、やれやれと苦笑混じりに課題を手に取った。


「俺の得意科目知ってっか?」
「興味ないんで」
「おいおいそれでも女子か。それくらい普通の女子なら即答だぞ」
いやむしろそっちに疑問持てよナルシストが
「俺国語ちょー得意なんだけどなあ」
「マジか是非教えてください丸井さん」


私の態度の変わりように丸井君は若干表情を曇らせたが、すぐに隣から椅子をひきずって私の向かいに腰を下ろした。プリントを眺める丸井君を遠慮がちに伺う。微かに青林檎の匂い。香水、なわけないか。確かガムを噛んでいた気がするからそれだろう。


「で、どこができないんだよ」
「ああもう訳とか文法とか」
「みたいだな、全部間違ってる」
「…」


それから丸井君の教えの下、私はなんとか課題を終わらせる事ができた。彼の教え方はあんまり上手くなかったけど、まあいないよりは良かったかもしれない。もう途中から「ああそれ答えアな」「よっしゃ」みたいになってたし。
そうして何故か丸井君も付き添って課題を職員室へ届けに行く事になった。先生はプリントのできを確認してから隣にいた丸井君を見て「できてるわけだな」と苦笑していたが別にやってもらった訳ではないんだからな。



「っくし」


そうして私達は教室に戻って来たのだが、髪をしっかり拭いていなかったからか、丸井君はくしゃみをして体を震わせた。言わんこっちゃないねと私は彼の首にかけられたタオルを取って、すると丸井君は「いや何も言われてねえし」と私の方に頭を向けた。多分拭いてくれという意味なのだろう。
今更だが偉そうである。
それからしばらく私達の間は沈黙が埋めていたが、それに割って入ったのは騒がしい足音だった。やかましい、顔をしかめるや否やこの教室の扉が開かれる。


「丸井先輩遅いッスよー…って、あ、お邪魔でしたか」
「おー赤也か、わりい」
「別に良いッスけど」
「丸井君の後輩君かい」
「まあな」


ふうんと髪を拭く手を止めて、私は赤也少年を見やれば、彼も私をじっと見つめていた。何かを見定めるような、そんな居心地の悪い目である。丸井君はその様子に気づいていないのか、いつもの調子で「ジャッカルと仁王は?」と自分の鞄の中へタオルを突っ込んだ。


「あー昇降口ッスよ。仁王先輩は待つのが面倒で今にも帰りそうな勢いッス」
「薄情だなあアイツ」
「仁王先輩スから」


赤也少年は、そう答えて、一呼吸おくと、それより、なんて言葉を続けた。


「丸井先輩の彼女って『変な人』だったなんて知らなかったッス」
「へえ、丸井君って彼女いたんだ。物好きもいるもんだね」
「いやアンタの事ですけど」
「えええ私は違うよ、ねえ丸井君」
「ああ、変なのは認めるがな」


鞄を担ぐようにしてそう言った丸井君は、それから素敵な笑みを浮かべて私の首に手をかけた。「それより、テメエさっきの台詞もう一回言ってみろいシメっぞ」ひいいい。物好きなんて冗談ですってば。


「そ、それよりアレだね。後輩君はどこかで会ったような気がするんだけど気のせいかね」


私は話を誤魔化すように適当な言葉を並べてみせると、途端に赤也少年の顔が「はあ?大丈夫かこの人」的なものへと変わった。あれ、私何か悪いことでも言っただろうか。


「昼休みに会ったばっかでしょ」
「ええと、」
「…」
「ああ、吉原君!」
切原ッス


馬鹿だなコイツと言わんばかりの切原君の顔は丸井君と仁王君のそれと似ている。類友ですね、分かります。ていうか切原君目付き悪くね。試しに切原君て怖いねと丸井君に耳打ちしたら、彼は悪びれもなく「赤也怖いってさははは」と空気が読めなさすぎる発言をした。私からしたら丸井君も相当頭悪いよな。わざとなのだろうか。
私はついにこの空間に耐えかねて、外を見つめる。薄暗い曇天に雨が上がる気配は窺えない。
置き傘がない私は帰れないから自らここから離脱するのは不可能である。奴らが帰るのを待つしかない。
そうして私は窓に容赦なく打ち付けられる雨を、ぼんやり見つめていると、丸井君は私が傘持っていないのを悟ったらしく、自身の折り畳みで私の頭を叩いた。


、一緒に帰るか?」
「えー」


丸井君と桑原君はともかくとして仁王君と切原君がいる空間になんていられないよ。と言いたかったが、流石に本人がいるところでそんなことが言えるほど私は勇気を持ち合わせていないので、私は頭に乗せられた傘をがっちり掴んでこう言った。


「一緒に帰りたくないんで傘だけ貸してください」
「うわ図々しいなアンタ」

今の発言は言わずもがなで切原君である。しかし私は傘を掴む手を決して緩めない。丸井君はというと、切原君とは対照的に、私の台詞を冗談と取ったのか、けらけらと笑って「あのなあ」と口を開いた。

丸井君の言葉は面白い程に私の予想を裏切らないものだった。


「普通に無理に決まってんだろい?」




窓の外でゴロゴロと何かが唸った気がした。