「見ーたーわーよお」そういって私の机に手をついたのはだった。

今日は朝から彼女の機嫌がすこぶる悪かった。だから私はとばっちりを受けないように今の今まで、つまり放課後までに話しかけないようにしていたのだが、どうやら怒りの原因に私が関わっているらしい。こうして彼女のほうから接触をはかってきたのだ。


03_ 日直の私とギブアンドテイクな丸井君



さて、部活へ行こうと鞄を抱えた私は、突然の彼女の発言に首をかしげた。「は、何が?」私が問いかければはハンカチでも噛み千切りそうな勢いでギリギリと歯軋りを繰り返す。それから何を思ったのか、心を落ち着けるように一度深呼吸をして、それから改めて私を見た。


、アンタ昨日丸井君と一緒にいたでしょ。抜け駆け、っていうか私に協力するって言ったじゃあん!嘘つきいいい!」
「えええ言ってないし」
「やだ、嘘アンタも丸井君狙い!?」
「いや、狙ってもいないし」


恐らくが言っているのは旧校舎での事だろう。いやはや、どこから見ていたのか。「ベーつに何にもなかったってばあ」本当のことだったのだけれど、私が欠伸をしてそういったのが気に食わなかったのか、彼女は頬を膨らまして私を睨む。


「ふ、ふんだ。私なんか丸井君に名前覚えてもらっちゃったんだからね」


いや、それは私もだけどさ。なんて火に油を注ぐような事を言わない代わりに私は「良かったじゃん!」なんて大げさに喜んであげると、彼女は小さく笑って頷いた。こういうところは本当に可愛いと思う。
教室にはもう私との二人しかいなくて、時間も時間だったので流石にもう部活に行ったほうがいいだろうと、外の桜に目をやりながらごちる。しかしその時、不意に教室のドアが開いて、担任が顔を覗かせた。私と目が合った瞬間に彼女の顔に笑顔が浮かべられる。丁度良かったわなんて言いたげな顔である。嫌な予感しかしない。


、確か今日日直だったよね」
「嫌です」
「これ8階の会議室なんだけど、お願いできる?」
「さっきの聞こえませんでした?」
「ありがとう、お願いね」
「話しかみ合ってないんですけど、って、先生、ちょ」


ばたん、勢いよく閉められたドアに私の声は遮られた。畜生あの先公許さん。残されたダンボールを覗き込んで中にびっちり詰まっている教科書に私は肩を落とす。ふと隣にいたはずのがいないことに気づいて顔をずらすと彼女は鞄を抱えて教室を出て行くところだった。え、ちょちょちょ。どこ行くの。


「悪いんだけど私これから部活でね」
いや、それは私もだよ
「……」
「……」
「頑張れ、日直!」
「ちょっと待て!」
「私は待たん!」


はバスケ部持ち前の足の速さで私を振り切ると、あっという間に教室を出て行ってしまった。彼女をこんなに薄情な人間だと思ったのは初めてである。そうして残された私には一人でこれを運ぶという選択肢しか残されていないわけで、腕なんてまくって無駄に気合を入れて箱に手をかける。どっせーい、我ながら変な声を上げてよろよろと歩き出した。そんな私が教室を出た瞬間だ。誰かと衝突して、昨日の如く手にしていた荷物を床にぶちまけた。
私も散らばる教科書の中に座り込んでいると、上から「…わりぃ」なんて声が降ってきた。その声は紛れもなく昨日と同じ、丸井君のものだった。「なんだかよ」「なんだ丸井君か」そんなやり取りの後に、丸井君はしゃがみこんで教科書を拾い始めた。丸井君はこれが私のものではないと思ったからか、拾ったものを乱雑にダンボールへ投げ込んでいく。その姿は昨日と違って、どこかやけになっているように見えた。私はそんな彼を見つめるだけで、手伝おうとはしない。なぜなら彼の頬が痛々しく赤く腫れ上がっていたからだった。
そういえば、真田君が部員を殴るのだとか風のうわさで聞いたことがあった気がする。多分丸井君の頬はそれが原因だろう。何というか、バイオレンス。


っていつも何か運んでんだな」


全部拾い終わったらしい丸井君がそう言って立ち上がった。少しだけ意地悪なニュアンスが含まれている。私はダンボールを軽く蹴飛ばした。


「そういう丸井君こそ」
「は、俺?」
「いつも真田君の機嫌が悪いと大変だね」


私の台詞に丸井君はハッとして、それから腫れた右頬をそっと押さえた。申し訳なさそうに私を伺う彼の目は、そんなに赤くなっているだろうかと問いかけているように見えた。言わないほうがよかったと私も申し訳なくなってくる。きっと見られたくなかったのだろう。
だから私は彼の頬を見ないようにして


「そんなに赤くないよ。パッと見、分からないと思う」


そう嘘をついた。


「そっか。んじゃ行くぞ」
「は?」
「こんなの女子に運ぶのは無理だって」
「はあ、」


どうやら一緒に運んでくれるらしい。殴られた後じゃ機嫌も良くないだろうに、お人よしだなあと、そう思った。


「どこに運ぶの」
「8階の会議室」
「どうせ担任だろい。鬼畜だな」


歩き出した私達はのろのろと階段を上がっていく。私は丸井君の頬があまりに痛々しくて、彼の方を見れもせず、その場を盛り上げるような話題を提供する事もできずにいた。こんな時にがいれば気の利いた台詞の一つや二つ出てきたはずだ。というか、がもう少し教室に残っていれば丸井君に会えただろうに、なんて運のない子なんだろう。
そうしてお互い何も口を開かぬまま歩いていると、ふと丸井君がその沈黙を破った。彼が話し出した事は、真田君に殴られた理由だった。私には何故彼がそんな話を始めたのか意図がつかめなかったのだが、聞いて欲しいと思って彼が話し始めたのだろうと、口を挟まずにいた。
どうやら丸井君はレギュラーになって浮かれて練習も適当にやっていたらしい。それで真田君に怒られたのだとか。まあ自業自得である。私に慰めを求めても無駄だと思うよ、と率直に応えると、丸井君は一瞬びっくりしたように目を丸くしてから「違いねえ」と笑った。変なの。
それから私達は会議室までやってくると、彼が荷物を置くために中へ入っていった。私は彼が戻ってくると同時に「手伝ってくれてありがとう」と早口に言ってしまう。


「別に良いよ。いつかなんか奢ってもらうから」
「ええええ」
「俺はギブアンドテイクがモットーなの」
「うーわー見返り君だー」


なんとでも言えとでも言うような顔をして、丸井君の口元は弧を描いた。悪魔に見える。しかし2度も手伝ってもらった身の上、あまり大きく出られずに「例えばなんですか」と問えば、彼は顎に手を当てた。


「学食1週間分とかあ?」
「見返りに合わねえじゃねえか、ふざけんなよこの野郎」
「…」
「…」
「…」
「見返りに合わないので他のにしていただきたいんですけど」
「いやいや言いなおしたところで聞かなかった事に、なんてしねえよ?」
「ごめんねついつい本音が」
「おま、ははは」


丸井君は急に笑い出すと、しきりに「変な奴」と言っていた。私には何が何だかさっぱりである。私はそんな丸井君に、そんなに見返りが欲しいならお返しするけど、と口を尖らせる。彼は「へえ何?」と私を見たので、そこで頭を下げるように言った。目の前に「赤」が降りてくる。私はそれに手を伸ばすと、そっとなでた。


「よしよし、お疲れ様でした」
「なっ…!?」


がばりと顔を上げた丸井君は顔が真っ赤である。もしかして撫でられるとかそういうの嫌いな人だったのか。まあ、確かに女子に頭を撫でられるとか微妙だもんね。私は持て余した右手をひらひらさせて、わたわたと妙にテンパる彼を見つめていた。


「あーごめん嫌だった?」
「嫌っつーか、そういんじゃ、ていうか、お前!」
「何」


とりあえず恥ずかしいのは分かったけど。
再び「変な奴!」と叫び続ける丸井君に私は、丸井君こそ十分変人だと思うけどなあと心の中でごちる。髪の色赤いし。だから私はけらけらと笑って、何言ってんのと口を開いた。


「丸井君のがよっぽど変な人だよ」
「…てめえ、もっぺん言ってみろい」
「あれ、」


私は髪の色のことを言ったつもりだったのであるが、彼は頭の中身と勘違いしたらしい。バキボキと関節を鳴らし始めた彼に、笑顔を返す勇気は最早私には残っていない。前にも言ったが、なぜなら私はチキンだからである。近づいてくる彼を前にして私は殴られる覚悟でぎゅっと目をつぶった。


「覚悟しやがれ」





その後本当に殴られた。